Rennに辿り着くまでに・・・
 

若かりし頃は旅に執心しいつも何処かしらの地図を鞄に入れ持ち歩いていた。
まだ訪れたこともない何処かで、まだ見ぬ誰かが自分の事を待っていてくれる・・・・
そんな夢想家の抱く様な身勝手な一期一会論は旅に出たいと思う感情を高揚させるには十分すぎる程の由となり、次にこの儚い記憶の断片に刻まれる一瞬の人間同士そして自然との重なり合いに一切の不安もなく、ただただ待ち遠しくてならなかった。

10代後半から20代後半まではアメリカで生活していたので、日常の生活もまた遠く故郷から離れた異国の地で旅の延長といえばそう捉える事も出来たが、旅とは日常ではなかなか向き合えない己と語り合える時空間を演出してくれるし、当時人見知りの激しい自分が旅先では自ら口を開き行動しなければならない、ただそれだけでも大きな冒険だった。そんな旅の一日はたいてい食そして宿の確保から始まった。
若かりし頃、泊まる場所は動き疲れた身体を横臥しそして旅人同士の情報交換の場所と成り得る最低限の設備があれば充分だったが、いくつもの国内外の旅そして年齢も重ね、旅や泊まる場所に対する思いも少しずつ移り変わっていった。
ゲストハウスやロスメンと呼ばれる宿には少々身体も老いてくると食傷気味になり、時には一流と呼ばれるホテルを泊まり歩く経験もしたが、そこは計算しつくされた贅沢という名の演出で、払う対価に対してサービスもまた変動する、一つの営利的現象のドラマをリアルに描き出してくれた。


  さぁ、いったい自分はどんな宿に泊まりたいのだろう・・・・?
 

このRENNのプロジェクトを草案する以前からも幾度となくこの問いは胸の中で沸いては消え、なかなか言葉・形にする事は難しかった。まして宿を作る、そう決めたときそれは絶対的に一個人の掌の中で実現出来るスケールで考えなければならなかった。
その昔イタリア旅行の際に現地の知人に教えて貰い、街を移動しながら泊まり歩いたアグリツーリズモはこれまでの宿とは印象が違い、新鮮で少なからずRENNのコンセプトに影響を与えたと思う。
ほとんどのアグリツーリズモに通じる点は、まず宿は街から離れた自然に囲まれた場所にあり、清潔でセンスの良い調度品と家具、オーガニックの食材を使ったシンプルが故に贅沢な料理、そしてすぐにでも思い出せる素敵な笑みを顔にいつも着ていた宿主とその家族・・・・
そういう宿は今でもノスタルジックな気持ちを彷彿させまた戻りたい、彼らに会いたいと不思議と思ってしまう。 そんな宿になればと願いながら七転八起の長い月日が過ぎ去り、RENNは少しずつ現実になっていった。


  「RENN」
 

敷地の広さは約1000坪、各個室(プライベートテラスや共有スペースは除く)の広さは30㎡弱と大型リゾートホテルと比べると絶対的な広さは感じられないかもしれません。ただその空間は一切の余分なモノをそぎ落とし、大人の旅の演出の小道具として家具・備品はもちろんお疲れになっている身体を休める寝具まで最上のモノを厳選し提供致しております。
建築面では長嶺氏に沖縄風水の監修、そしてアトリエ門口とは設計のコラボレートをお願いし、建物のコンクリートや塗料には全てEM資材を使用し、少しでも地球環境とご宿泊されるお客様の健康に寄与出来れば嬉しく思います。


  3組限定の宿
 

いつしか旅路の果てに宮古島に出会い魅了され通い続けていた頃、アニミズムとシャーマニズムの二要素の動的な複合を感じることが不思議とここ沖縄、特に宮古島では多々ありました。
E.B.Tylorの自然を擬人的に考え,人と同じように霊魂を持っているという分化人類学の概念はこの小さな島のさりげない日常のいたる所に散りばめられ、意識し気づき受け入れる事はまるで落ちた花びらを拾い集めて対話し、そしてその死をそっと手のひらで受け入れ「ありがとう」と囁くような儚く華美な島の日常と感じられます。だからこそこの宮古島に魅了され何度も訪れる人が多い大きな要因なのかもしれません。
そして不思議と必然のようにそこには共時性原理を見出すことが多々ある気がします。
3組のみの宿にした理由は、宿泊して頂くお客様同士のシンクロニシティを儚くも期待すると共に、私達が一日にお客様と向き合える最大人数でもあります。
滞在中皆様がゆっくり寛いで頂けますように、お手伝い出来る事がありましたら何なりと申しつけ下さいませ。


ここ数年間は宿の運営の傍ら現地コーディネーターとしても活動致しております。より皆様の宮古の旅が素敵になりますよう、オンリーワンのサービスを提供出来ますように努力しております。
最後に皆様にお会いできる日を心待ちにしております。きっと私達の出会い、偶然では無いとおもいます。
   
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